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母の窮屈な概念とまたまた衝突

更新日:2019年3月24日

クリスマスパーティー(?)の準備でキッチンにいる私のところに近づいてきた母、

(もう今では、はなしかけてくる母に構えてしまう私です、、、)

「私のお金あんたしらん?、、、、、、」に

「しらんよー」「じいちゃんやで」

と、、 納得することもなく治まりもつかずうじゃうじゃつづく、、


クリスマス準備を楽しんでるのに気分を害されてきた私は「お金持ってるのあかんからって管理放棄自分がしたんやから、しらんでいいんやで」とかるく投げ捨てたら、、

「なに そんなこと言うんか どうなってるんかちゃんとーーーーー」と怒り出す。

もうこんなやりとりは、認知症になる前(妄想性障害歴20年超えです)からあったので、

私の頭も心もグワーっとなるーー

母も抑え効かずに責め立てるー

こうなってしまうと、  えーい   っと

「日にちすらも数秒でわからんなるのに お金出入りの説明わからんやん」

にわかに爆弾投下(私の気持ちもぶつけておきたくなる)

「ひとをばかにしてーーー」とヒステリックに「もうええーー」と怒りすねる。


言ってはいけない 言っても結果お互い治まりつかないって知ってても、、、、

何度も何度もやってくるこの衝突


すごいエネルギーをつかう。



何度もしてきて、わかったことはある。



母の苦しみは私が補うことはできない

母は自分の苦しみ(穴)だとはみえていない

母はひとのエリア・外の世界で自分を満たそうとする


(でも、苦しみはじぶんできちんとみない限りなくならないし変わらない

 それでもいいひとですごせてきた)



プライドと承認欲求の肥大というフレーズがぴったりはまる。



そんな風に母をみるようになり、はじめての衝突の頃ほどの

私の負傷感は少なくなっている。

そして、母は私のエリアに入ることへのタブー感は感じ重ねているように思う。



田舎から高卒後大阪に出てきた母は、裕福さを思い描き高度経済成長期に主婦となって

それなりの暮らしに到達した。


社会にはじないように

ひとに迷惑かけないように

道徳を大事に

きちんと食べて・寝て

運動は身体にいい事

やりたいことにお金使ったらいいよ


って、いい母をしてきたのに、、、

母の本質はなくなってしまっていたのかなー(社会の勢いのなかに消え失せてしまっていたのかなー)と感じています。



そして、

母のようなこんな概念、、

今、子供達の環境をみていると随分違っているのかな~

自分の本質を問われることの方が重要視されてきているな~

と感じています。


自分を豊かに生きることってやっぱり大切ですよね^^


♯親の介護 ♯承認欲求 ♯欲

♯自己愛 ♯自分ケア ♯豊かさ

♯笹原なつみ










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